昨日(2018年6月3日)、全国犯罪被害者の会(あすの会)が解散しました。18年にわたり、犯罪被害者の権利の確立と被害者の保障の充実強化に取り組み、画期的な成果を出してきました。私は当初顧問弁護団の一員として、その後副代表幹事としてささやかなお手伝いをしてきましたが、昨日の最終大会に参加し、岡村先生をはじめあすの会に参加した多くの犯罪被害者やご遺族の方のお話をうかがい、改めて、わが国の役所・裁判所(弁護士も含みます)が、被害者やその遺族の権利というよりも存在そのものを無視してきた対応の歴史に愕然とし、長年にわたり役所がそれを変えようとしなかったこと、被害者や遺族が声を上げ、全力で多大な犠牲を払い国民運動をし、政治を動かさなければ実現しなかったこと(あすの会の活動も小泉総理に直接面談し、小泉総理の理解を得ることができたことが突破口になりました)にわが国の抱える最大の問題があると感じました。岡村弁護士も昨日の大会で「被害者自らが立ち上がらなければならない運動は最後にしてほしい」旨述べておられました。
あすの会の活動の成果と残された課題については改めて整理して、できれば本にしたいと思っておりますが、被害者本人や遺族という当事者が声を上げなければ、何も変わらない国、本来そのような当事者を守り救わなければならないはずの国の役所や自治体がまったく動かない、当事者から要望を受けてもほとんど動かない、役人にとっては「今までのやり方を変えない」「余計なことはしない」という鉄則に従うのみ、ということが、あらゆる分野で起きていると痛感します。
被害者や遺族が声を上げ、立ち上がり、それで国を動かし成果が得られた犯罪被害者の権利ですが、家庭での虐待という犯罪の被害者である子どもをめぐる状況は全く改善されていません。そもそも、子どもたちは「権利」云々というレベルではなく、家庭という密室で助けを求めることもできず、逃げることもできず、多数殺され、傷つけられ、児童相談所が案件を抱え込み救えるはずの命でもみすみす虐待死に至っているという実態はいつまでも変わりません。
犯罪被害者の権利の確立は、あすの会もそうですが、殺された子どもや配偶者の無念の思いを受け立ち上がった親などの家族が中心的な役割を果たしました。しかし、子ども虐待の場合は本来立ち上がるはずの親が加害者ですので、立ち上がる人がいないのです。そうすると、そもそも当事者が立ち上がらなければ動かないということが問題であるのですが、子ども虐待の場合は、国や役所はもちろん動かず、立ち上がるはずの当事者すらいないということなのです。私どもが子どもたちの声を代弁して活動しているつもりですが、当事者でないためか、非力なまま、あすの会のように国や役所を動かすには至っていません。
私どもの「子ども虐待死ゼロ」を目指し児童相談所と警察との情報共有と連携しての活動を求める要望にすら、厚労省や東京都、兵庫県・神戸市、千葉県などの自治体はいつまでも応じません。今年に入り、茨城県、愛知県には応じていいただき、大阪府、埼玉県でも近々に実現する見込みですが、これらの改善に応じていただいた府県はいずれも知事らトップの判断によるものです。役人は「今までのやり方は変えない」「余計なことはしない」ということで、子どもを救うためにどうすればいいか、関係機関で連携したほうがいいのではないかという当たり前の発想はありません。
これまでのメールでご報告しておりますとおり、本年2月の東京都目黒区結愛ちゃん虐待死事件を機に、小池東京都知事あて、尾崎東京都議会議長あてに、児童相談所と警察との全件情報共有と連携しての活動を求める要望書を出しています。知事部局からは返事すらなく、都議会の各会派、公明党、都民ファースト、自民党などの各会派を回りお願いしているところです。
当事者が立ち上がらなければ何も動かない国で、当事者である子どもたちは立ち上がることができず、立ち上がるべき親が加害者であるという子ども虐待問題に、動き、改善させることができるのは政治しかありません。特に東京都の児童相談所は、江戸川区海渡くん事件、葛飾区愛羅ちゃん事件、足立区玲空斗ちゃん事件、目黒区結愛ちゃん事件と、警察と情報共有し連携して活動していれば救えたはずの事件が何度繰り返されても一向に改善しようとしません。警視庁はもちろん児童相談所から提供がなされれば、受け入れます(なお高知、茨城、愛知、大阪、埼玉、兵庫をはじめ全国の都道府県警察はすべてそうです。国民を守る機関として当たり前ですが、児童相談所さえ情報提供すれば警察は子どもたちを守るため喜んで受け入れるのです。断るなんてありえません。)。
子どもたちを虐待から守るために児童相談所と警察との全件情報共有を実現することに、都庁の役人ははなから期待できず、小池知事が動かない限りは、東京都議会の各会派が動いていただくしかありません。