ブログ67 「児相は福祉機関、だから警察とは連携できない」なんて無茶苦茶言わないでください

1 先日、ある都道府県の児相関係者の方とお話しし、警察との情報共有をお願いしましたが、その方からは、児相が必要あると判断しているケースは警察に情報提供している、それ以外はする必要がない、と言われました(「必要なことはやっている」というのは「決してサボっているわけではありません」という役人用語ですが、「児相が必要と判断しているケース」と言うのは臨検が必要なケースなど極めて危険なケースのことで、ごくごくわずかです。児相が「情報提供する必要がない」という大多数のケースで毎年毎年多数の虐待死が起こっているのです。)

 私からは、①足立区のウサギ用ケージ監禁虐待死事件では、足立の児相から警察に協力依頼があったのは既に子どもが殺害された後だった、それまで児相は11回家庭訪問したが2回しか会えなかった、人手不足が原因だと思うが家庭訪問の期間を5ケ月も空けていた、こういう事例が非常に多いことから、ほとんどのケースで情報共有も連携しての対応もせず、児相が必要と判断したわずかなケースのみ警察と連携して対応するというのでは子どもの安全は守れないのでないでしょうか(やんわりと、独善が過ぎませんかと言ったつもりです)、②110番通報や地域住民・学校等からの情報提供により、警察が虐待家庭について対応するケースはかなり多いが、そういう場合に児相から情報提供を受けていれば、警察官は虐待家庭ということを念頭に適切に対応でき、虐待の見逃しを防ぐことができ、子どもが守られる、また、警察が対応した結果を児相に提供することで児相の今後の指導にも有益ではないですか、③深夜はいかいや家出の子どもを警察が保護した場合、その子供の家庭が虐待・ネグレクト家庭である場合には、児相から情報提供がないとそのまま家庭に戻してしまうことになるが、それでいいのですか、とお話しするのですが、これらについてはノー回答でした。

 これまで、多くの児相の現役・OBの方と意見交換しましたが、若手の職員の方やOBの方は警察との情報共有に賛同される方が多く、現役の幹部の方からは上記のようなことを言われることが多いように思います。もちろん例外はありますが。

 また、警察に情報提供することは福祉機関である児相に相談してきた保護者を裏切ることになる、あるいは保護者から反発されるという趣旨のことも言われたことがあります。私は(内心は、何を理屈にもならんことを言っているのだ、そこまで子どもの安全よりも親とのトラブルの回避を優先したいのかと思いましたが)、自ら虐待を行う保護者からの相談などほんのわずかしかなく、ほとんどの事案は地域住民や病院・学校からの通告であり既に多くの人に知られていること、そもそも警察にまず110番が入るケースが4割程度に上っており、多くの事案で警察が既に対応していること、さらに、仮に警察に対する情報提供に異議のある保護者がいるとしても、そんな親にこそ、子どもを守るため警察や学校等関係機関と情報共有の上対応していることを認識させた方が虐待抑止に効果がある上、子どもの命を最優先にする立場に立つ限り、上記①、②、③のように情報共有の上連携して活動することの利益が格段に大きいことは明らかでないですか、とお話ししました。屁理屈だという認識はおありのようで、反論はありませんでした。

2 このような警察との連携を拒否する言葉として、「児相は福祉機関、だから警察との情報共有や連携して活動してはいけない」という反論(にもなっていない)のほか、以前に他の児相関係者から「警察と連携して活動して解決すると児相の福祉機関としての立場がない」と聞いたことがあります。これは論外ですが、彼らの本音は、警察と連携することで今までの取組―危険な家庭にも家庭訪問しない、留守だとすぐ帰る、親に反発されれば一時保護しないなどーを変えることを余儀なくされることが嫌だ、ということではないかと推測します。いずれにしても、子どもの命がかかっているケースで、縄張り根性丸出しで、そもそも自分たちには態勢もなく、家庭訪問も満足にできず、多くの子どもの命を救えないでいるのに、よくもそんなことが言えるなとうんざりします。

3 福祉機関たる児相は警察との情報共有や連携してはいけない、なんて無茶苦茶言わないでほしい、お願いだから、子どもの命を最優先で考えてほしい。日本の児相より20倍も30倍も態勢のあるアメリカやイギリスの児童保護部局でも警察と全件虐待情報を共有して、連携して活動しているのです。子どもの安全が第一と言う立場に立つ限り、児相は福祉機関、たとえどれだけ子どもを守るために効果があっても福祉機関は警察と情報共有してはならないなんて、そんな言葉が口に出るわけがないのです。この問題は子どもを守るために最善のシステムをどう作るかという問題なのです。児相のほか、警察や市町村、保健所、病院、学校など様々な子どもを守る機関があるわけで、有効な社会資源として何を使うべきか、当然一つの機関だけでは対応できませんので、どことどこの機関をどのようにうまく連携させるかというシステム設計の問題なのです。それを児相と並ぶ中核の機関である警察―各国どこでもそうですーとの情報共有すら拒絶してどうするのか。このような考えは、特殊なイデオロギーに基づくものなのか、縄張り根性なのか、ただ単に連携することにより今までの取組を変えることを余儀なくされることが嫌なのかいろいろ考えられますが、結果的に、警察と連携して子どもが助けられるぐらいなら、子どもが虐待死しても構わない、ということを意味するものなのです。

 以前は学校でも同様の意識が強く、警察となかなか連携しませんでしたが、最近は、非行、いじめ、体罰、不登校事案などで警察との情報共有はかなり進んでいます。スクールサポーターなどとして警察官OBが学校に配属されているところも増えています。川崎市中学1年男子生徒殺害事件を受け、本年3月、私どもシンクキッズから、学校・児相と警察の情報共有を求める要望書を提出しましたところ、川崎市教育委員会は非行情報を警察に提供することを決めましたが、児相はいまだ情報提供しようとしません。一つの機関だけで子どもを守ることができると考えることほど傲慢なことはありません。学校は徐々に意識を変えつつありますが、児相はいつまでもその意識が変わらず、案件を抱え込んでは、虐待死や虐待のエスカレートを防ぐことができない事態を続けているのです。児相関係者と交渉すればするほど、やはり法改正により情報共有と連携しての活動を義務付けしない限り、児相の案件抱え込み体質は変わらず、子どもはいつまでも救えないと確信が深まっていく次第です。