1 NHK日曜討論制作者は「完全アウェイ」人選をし、私の立場からは公平とは言い難い、少なくとも誤解を与える報道をしたと思いますが、これまでのNHKの記者や解説委員はそうではありません。
私が全国の自治体を訪れ、知事や市長、担当部課長に会い、全件共有と連携しての要望を行う際、どこの地方局でもNHKさんは、知事あるいは役人に面会の様子を撮影させるよう要求してくださり、それをかなり詳しく報道していただいています。もちろん、私を「完全アウェイ」にするような形でなく、公平に報道していただいています。今後とも、NHKの記者さんには是非引き続きお願いいたします。
また、平成28年5月5日のNHK「時事公論」で村田解説委員が、「虐待から子どもを守るために」というテーマで、国会に政府から提出された児童虐待防止法等の改正案について、「厚生労働省は、児童相談所が把握した虐待の情報を警察と共有し、協力して子どもの保護にあたるように法律や制度を見直してほしいと思います。」とご指摘いただいています。詳しくは下記をご覧ください。
私の記憶では、大マスコミで最も早く、全件共有の必要性を訴えていただいたのはNHKさんだったと思います。この番組では、高知県が以前から全件共有していることを紹介し、児童相談所、警察の双方から取材をし、双方にメリットがあり、子どもの保護に効果があることの説明がなされています。なぜ3年近く前にはこのようなちゃんと取材をした上での報道であったのに、今回も解説委員の太田真嗣さんが司会しているのに、なぜこれほど違うのか。日曜討論は、自局の同じテーマの報道すら調べずに企画しているのでしょうか。この点もNHKにはお聞きしたいと思っております。
2 NHK日曜討論を除いては、マスコミも全件共有を支持していただいている記事を多く掲載していただけるようになっています。最近では2月26日産経新聞関西版に添付の記事の中で「児童虐待はもはや非常事態である。できることは全て、しかも急いでやらなければならない。しかし児相だけでは限界がある。関係機関との連携が大事だ。とくに警察である」と書いていただき、私の取組みを紹介し、その推進を訴えていただいています。ありがたい限りです。
この記事の記者さんも同じ気持ちだと思いますが、子どもを救うために警察を使わなくてどうするのだ、という基本的な考えというか、当然の思いがあるのだと思います。大人であれば危険を感じた際には逃げるか警察に助けを求めます。警察との連携を否定する児童相談所の職員や学者・医師の方もそうだと思います。しかし、家庭という密室の中で虐待を受けている子どもたちは逃げることも助けを求めることもできないのです。せめて、児童相談所は把握している虐待家庭を警察と情報共有し、警察が助ける機会をあればそれを見逃すことなく助けることができるようにする責務があるのではないでしょうか。ところが、警察との情報共有を拒む東京都や千葉県などの児童相談所職員やそれを支持する学者や医師の方の考えは、違うのです。警察は児童相談所が必要と認めた場合に限り対応すればよく(東京都や千葉県では虐待案件のわずか数%程度しか警察に提供していません)、残りのほとんどの虐待案件について警察は対応しなくていい、ということを主張しているのです。その結果、警察が救える機会があっても見逃してしまっても仕方がない、東京都葛飾区愛羅ちゃん事件や埼玉県三郷市健太君事件、大阪市西淀川区聖香ちゃん事件等警察が児童相談所や学校から知らされていれば警察は子どもたちは救うことができたのですが、そんなことはしなくていい、ということになるのです。これをさらに突き詰めれば、虐待されている子どもたちに対し、
「君たちは、児童相談所が警察に知らせないまま、警察に助けてもらうことなく殺されてもしようがないんだよ。」
「なぜって、それが福祉的対応というものなんだよ。警察が出てくるのを君たちの父親や母親が嫌がるのだよ。だから警察には知らせないのが正しいんだよ。児童福祉の素人が色々言っているようだけど。児童福祉に詳しい我々が言うのだから間違いない。それで殺されても、正しい「福祉的対応」の結果だから仕方ないんだよ」
と言っているようなものとしか私には思えないのです。私にはそれが心の底から信じられないのです。
このような児童相談所職員やこれを支持する学者、医師の方の発想は、私にも長い間理解できませんでしたが、4年半にわたり、児相の職員や県の幹部らを説得しては拒否されるということを繰り返しているうちに、この人たちは上記のように考えているんだなと感じるようになりました。彼らの考えが分からない方も多いと思います。お知りになりたい方は、拙著「子どもが守られる社会に」(エピック社)のp66「子どもを守るためでなく親のための「福祉的対応」」という箇所をお読みください。なかなか理解できないと思いますが・・・。これが「たこつぼ」に入るということかと、戦後民主主義という言葉では片付けられない、「児童福祉」分野では本当にこんな考えが通常なのか、子どもに対して恐ろしく冷たい、これでは虐待を受けている子どもは警察に救われるぐらいなら救われなくてもいいと考えていることにならないのかと、思ってしまうのですが、これらの方はこの点どのように考えているのでしょうか。
子どもを守るはずの立場にある公務員やその分野の「専門家」と称する人たちがそんなことを長年言い続けて、警察等と連携すれば救えるはずの子どもたちの命を十数年で200人以上救えずにいながら、今でも、平然と、警察等関係機関との全件共有と連携しての活動を否定し続ける。高知県など改革に踏み込んだ児童相談所も多くに上っているのにそれを認めず、日曜討論などで不要だと言い続ける、それをあたかも多数派のようにNHKが報道する。しかし、一方、警察等関係機関との全件共有と連携しての活動を否定する方は、
「子どもが中心、ということで、連携してお互いの能力を活かすような連携の形にしていかなけゃいけない」
とも発言されておられます(日曜討論における奥山真紀子医師ご発言)。「子どもが中心」と考えておられるなら、なぜ警察を子どもを守る取組から排除するのか、子どもは警察に助けられなくていいのか、子どもは児相が警察に知らせないまま、児相は何もしないで殺されても仕方がないというのか、それが「子どもが中心」なのか、今や国民の虐待通報は、児童相談所よりも警察に対するものの方が上回るとみられ、児童相談所と並ぶ虐待対応の中心組織である警察をなぜ排除するのか、ほんとうに「子どもが中心」なら、高知県や多くの自治体で取り組まれ、イギリスやアメリカでは当然のように取り組まれ、私どもが要望している、児童相談所、市町村、警察、病院、学校、保健所等子どもを守る機関が情報共有の上連携して、ベストを尽くして子どもを守る取組をする、ということになぜならないのか、不思議で仕方がありません。
この問題に取り組み始め、児童相談所や「専門家」と称する方と議論するたびに、私の頭がおかしいのか、と感じてしまうことが少なくありません。東京都や千葉県の児童相談所の職員や幹部、知事、学者や医師等「専門家」と称する皆さんには、「親から虐待を受けている子どもは警察に助けられなくていいのか」「児相が知りながら警察に知らされないまま殺される子どもはそれで納得していると思うのか」というところから、考えてほしいと思います。「子どもが中心」ということはそういうことではないでしょうか。親に配慮して、児相に警察と情報共有しなくていいというのは、「子どもが中心」ではなく、「親が中心」、「児相が中心」の考えになっているのではないでしょうか。